記録に残らない環境

ネルケ版「ライチ☆光クラブ」の初演、初日のことをときどき思い出す。
開場した瞬間に、紀伊國屋ホールの持つ昭和の香りの漂う雰囲気に加え、肖像画のように壁にずらりと並んだ当該公演の役の扮装した役者のパネルが視界に飛び込んできて、今日からここでお芝居が始まるんだ、と胸が高鳴った。


それだけではなくて、さらに客席に入ると目に入ったのは舞台上の緞帳だった。布製の緞帳ではなく金属製の冷たい印象のシャッター。
そのシャッターに、感情のない機械的な女性の声で諸注意を説明する機内映像のような映像が流れていた。


舞台とは開演ブザーとともに始まるのではないんだなぁ、とこの時初めて痛感した。劇場に足を踏み入れた瞬間から物語の世界を始めさせてくれた。


この初演は初日前からチケット入手が困難な状態で、翌年1名の女性キャストのみ変更となったがほぼオリジナルキャスト・スタッフでの再演となった。けれどこの再演はまったくの別物となってしまったと感じた。


再演はキャパシティの問題からか日程の問題からか分からないが劇場が変更され、2.5次元舞台が多く上演される劇場での上演となった。
ガラス張りのため屋外からの日が差し込む明るいロビー、大きくガランとした舞台。
再演の際に新たなエピソードの挿入など演出の変更がみられてとても楽しかったが、劇場の変更により舞台の雰囲気は壊れ、初演において感じた高揚感を得られることはなかった。


そのような劇場の雰囲気は残念ながらDVDに収録されることはないため、劇場に赴いた人にしか分からない。


音の響きがいい、座席位置が入れ子になっている、トイレの個室が多く空きが見つけやすい、など劇場として「機能の良し悪し」で評価されることが多い。
しかしそれ以外にも上演作品の作風への「合う合わない」もある。


近年は需要と供給のバランスが取れないのか、演目が決定される前にとりあえず劇場をおさえるという話も聞くので、演目と劇場の雰囲気が合致するのかどうかは、もはや運なのかもしれないなぁ、などと思った。

ジレンマ

「図書館の魔女」を読んだ

kconの時に待ち時間が長そうだったから買って、結果的に読み終えるのに1ヶ月以上かかったんだけど、面白かった

文庫を買うときに「2巻までは読んでください!」ってポップがついてて、読み終えた時は「あの言葉は正解だったなぁ」と思ったけど、買った時は「お試しで2冊買えと言うのは強気過ぎる…」って思った

 

文庫版の1巻だけだと「えっほぼ説明で終わった…?」ってなるけど、元の版が上下巻で文庫版が4巻セットになってるからそういう齟齬が発生してしまうんだろうなぁ

2巻まで読むと、ぐっと内容に引き込まれてすぐに読み終えてしまった

 

文庫版にすると最初の本の形態が壊れてしまうけど、元の版だと気軽に買うには高いし、持ち歩くには重過ぎる(3センチぐらいの厚さがある)ので、ジレンマだ

 

とくにない

ずっと応援していた人の活動ジャンルが変わった。

舞台俳優→声優に。

 

私の好きの下地が「舞台で見る彼の演技」が好きで、そのうえで彼の考え方や居方が好きだったので今後追いかけることはないだろうなぁとぼやぼや考えていた。

というより「舞台」というコンテンツが好きで、その中で彼が好きだっただけなのかもしれない。

そのジャンルを降りてしまった彼にとんと興味がわかなくなってしまった。

 

これは(私の中では)大きな変化だと思っているけど、そうゆう変化の中でみんなはどうやって「推し」を推しているんだろう。

 

舞台がメインだったのに映像がメインになった人

ダンスミュージックからバラードに転向した人

 

これは事務所だったり本人だったりが決めた流れだけど、グループからの卒業・解散によって自動的にジャンルが変わる人もいる。

 

「○○さんのおかげでこっちのジャンルも好きになれました!」ってそのジャンルも好きになれればいいんだけど、趣味嗜好はそう簡単に変わらないんだよなぁと思ってる